高田蒔先生と広藤道男先生
タカダイオン治療器の発明者としての高田蒔博士と、その弟子で臨床面や動物実験や理論づけで補完し、またタカダイオン治療器に関する書籍のある広藤道男博士の略歴です。
高田蒔博士の生涯(血清高田反応(肝機能検査法)として後に ヨーロッパで評価される)
(10年後日本でもスタンダードな肝機能検査法となる)
太陽活動の極大期(太陽第四線の発見)
「タカダイオン治療器」を発明
*17年間の沈黙を破り「タカダイオン治療器」について普及し始める
高田蒔博士は東北帝国大学医学部卒業後、1921年からドイツに留学。帰国後、父親の病院の副院長として勤務中に、紅い昇汞水(消毒液)に石鹸のついた手を入れると、消毒液の紅い色が紫色になったという経験を発展させて、1925年に「血清反応」並びに「高田荒脳脊髄液反応」を「第6回極東熱帯医学会」で発表しました。その後この発表がヨーロッパで高く評価され「肝機能検査法」として日本でも採用されるようになりました。(血清高田反応)
その後宇宙線の人体に及ぼす影響を研究中に生理機能が太陽の黒点活動により大きく影響を受けていることを血清絮数反応という検査法で明らかにしました。その後生体に起きている電離現象を再現するための装置が必要になりタカダイオン治療器がつくられました。(プラス電子は健康を害することが解りましたのでマイナス電子しか発生しないように改良されました)
ここに太陽の恩恵の一部を取り入れる装置「タカダイオン治療器」が誕生しました。(1940年10月)
その後、この治療器を使った治療方法について副作用の有無、臨床データを集めるためにも約17年間も沈黙を守り続けました。この間治療器がほぼ副作用がないことを確認し、ついに社会に発表され現在に至ります。
広藤道男博士の生涯同年兵庫県立病院内科に勤務
高田蒔博士に教えを受けるようになる
医学生当時から高田蒔博士のスケールの大きい研究に興味を持っていた広藤先生は高田蒔教授のいる兵庫県立病院内科医として働き始めました。
時は太平洋戦争まっただ中で昭和20年8月6日広島に原爆が落とされました。
広島県出身の医者として原爆投下の1週間後には現地に入りました。
医者としてやれることはごく限られていたことと思いますが必死だったと思います。
その後昭和27年から広島記念病院の内科に勤務するようになりました。幸いなことに治療に高田蒔博士が発明した「タカダイオン治療器」を使うことができました。
(ほかの病院では使っていませんでした)
原爆の後遺症に苦しむ患者さんに対する特効的治療法がなかった中でかなり症状の改善成果が出たようです。(電子負荷療法の実際とメカニズムP7に記載有)
原爆症の患者さんの症状は、あまりに多種多様であるのにその多くが改善されるのはどうしてなのか?当時はよくわからなかったようです。
その後臨床医として多忙な中で諸先生のご協力も得ながらタカダイオン治療器の実験をやり続けました。
- ヤリイカ神経軸索の活動電位に及ぼす電位負荷の効果
- 自律神経失調症に及ぼす電子負荷の効果
- 創傷治癒に及ぼす電子負荷の効果
- 細胞性免疫・液性免疫に及ぼす電子負荷の効果
- 酵素反応に及ぼす電子負荷の効果(ウレアーゼの作用)
- 活性酸素の毒性防御に及ぼす効果(パラコートの実験)
その他いろいろな実験の中で電子負荷の影響が「身体は細胞でできている。その細胞そのものが元気になるのではないか」という考えになってきたようです。
*高田蒔博士と広藤道男博士の子弟が70年以上にもわたって研究してきました直流式電子負荷療法の治療器は(株)日本理工医学研究所で作られているものしかありません。
広藤道男の家族として感じるのは、タカダイオン治療器の研究をすることによって、戦争で亡くなった方々に対する弔い合戦をしていたのではないかということです。
とりわけ原爆で亡くなった方々に対しては十分な治療ができなかった医者としての悔いもあったのではないでしょうか?
そして未来に対してはこの治療器で医療費の削減ができないだろうかと考えていたようです。
広藤道男博士の代表的な著書は下記になります。
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